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救急医の横顔

今回は北海道で救急一筋25年のベテラン医、奈良理先生にインタビューする機会を得た。奈良先生は、手稲渓仁会病院の救急科部長兼救命救急センター長。同病院は1次から2次までの救急搬送を毎年4,000件以上受け入れている他に、ドクターヘリの基地病院として道央圏の救命救急に貢献し毎年400件前後の出動件数をほこる。また奈良先生はメディカルウィングのコアメンバーとして、北海道のみならず広く日本全体の航空医療体制の充実を図るための活動も行なっている。

「趣味は救急です」

奈良先生の写真

インタビューを終えての別れ際の雑談。趣味を聞いてみると、奈良先生は意外な答えを口にした。
「趣味は救急です」
真顔だ。
最後の雑談に気を抜いていただけに、一瞬、不意を突かれた気がしてすぐに「その心は?」という質問の言葉が紡げない。奈良先生は助け舟の代わりに目尻を下げた。
「昔は、よく趣味は救急ですと答えていたのですが、最近の若い人にはシャレが通じなくてね」と口元を綻ばせる。趣味と言えるほどの救急の魅力とは一体何なのであろうか。奈良先生は答える。
「救急医療は重症度も緊急度も違う色々な患者さんが来て、それに対して短時間で診断と治療を同時に進めていかなければ救命できない。そういうところに僕は面白さというか魅力を感じています。」
「さらに」と言葉をつなげる。
救急医療は社会的な側面がある。病院内だけにいるのではなく、災害事故現場にドクターヘリなどで急行して、救急隊やレスキュー隊と一緒に活動することも多い。「実際にフィールドに出て行って、現場で活動するのも一つの魅力かな。僕らの担当は医療ですけど、自分たちから外に出て行って、その中で色々な他職種の人と関わりを持って、連携して治療に結び付けられるというところが、非常に魅力を感じています。」

若気の至りから救急の道へ

救急畑一筋を歩む。救急医を目指すこと自体、変わり者といわれた時代にこの世界に飛び込んで行ったのは何故なのか。
奈良先生は「若かったんですね」とはにかみながら、救急の専門性を認めなかった他科への反発心からだったことを口にする。
「今と違って初期臨床研修制度がない時代です。大学にそのまま残るためにはどこかの医局に所属しなければならなくてね。臓器別の専門というよりももう少し全身を診たいと思っていました。なので、小児科か救急かと迷いました。学生のイメージでは小児科というのは全身を診られるというのがありましたが、一方で『救急に興味がある、救急をやろうと思っている』と先生に話をすると『ふーん。救急なんかやって何が面白いの?』『ようは中毒とか特殊なものが診たいの?』『救急なんてどこの科だってやっているよね』と言われて来ました。要するに、救急は専門性がないようなことをいっぱい言われて来たので、だったらそんな風に言われるんだったら救急をやってみよう」と。
ひねくれ者では決してないが、奈良先生は札幌医大救急部(当時)の門を叩いたのだった。

救急医療は社会的な側面が反映される

北海道内で救急畑の古株として知られる奈良先生。先生が救急医になった当時と今とでは何が大きく変わって来たのだろうか。その点を聞いてみると、奈良先生は日本の救急医療は高度な救命医療から始まったが、最近はアメリカで多く取り入れられているER型救急にシステムが移行していると指摘する。
現在もこれまでも、日本では、救急システムの多くが集中治療型ないしは各科相乗り型である。
日本救急医学会ER検討委員会のホームページによるとER型救急システムは以下のような説明がされている。

※ ER型救急システムとは、北米のER(ED: emergency department)で行われている救急システムを参考に作られたため「ER型」と名付けらました。基本的に全ての救急患者に対応する救急初期診療型で、ERで働くERドクター(ER専門医)は全ての科の初期診療を行います。また、walk inの患者にはトリアージナースが対応し、緊急性があるかないかの判断を行います。緊急性があると判断されれば、救急車で来院する患者同様、ERドクターの診療を緊急に受けることとなります。ERドクターは初期診療後、入院が必要な患者は全てその担当科に振り分け、入院患者や手術には基本的に関与しません。ERドクターが行う救急初期診療とは、診断・初期治療・advanced triage(disposition)を指します。ちなみに、advanced triage(disposition)とは、救急患者の方向性のことで、具体的には、帰宅させるのか入院させるのか、入院させるのならどの科にどの時点で話を持っていくかの判断のことです。

奈良先生は説明する。
「僕が(救急医に)なりたての頃は、最初から救急医療をやる医者はいないんですよね。例えば外科から移って来た先生だったりしたので、最初はそんなにできることも少ないし、(救急医学が)認められないようなことが多かったんです。ところが社会的にも救急医療のニーズが高まって来たので、まずは重症の患者に関しては自分たちで初期治療から集中治療まで全部やるようになって来ました。まあ、手術を全部やるというようなことはないんですけど、(救急医療の)チームの中で、チームの中心としての立場がだんだんと確立してきたのだと思います。中でも高度な集中治療が進化して、そういう専門性ができたのですね」
初期の頃、救急に求められたのは外傷重症患者の救命がメインで、そのような患者を診る施設として救命救急センターが整備されていったという。
「だから、そこで働く医者というのは、高度な医療がメインだった」と奈良先生。そして言葉をつなげる。「それが最近、医療崩壊であまり救急をやらなくなって来ている。というか、やるのも大変なので、高度なところから逆に中等症や軽度の方にまで救急医が求められるようになって来たと同時に、病院施設にもそれが求められるようになって来ました。」
札幌市消防局のデータによると、この20年間で救急出動件数はおよそ2倍に増えている現実がある(平成7年45,730件、平成27年88,507件)。そのうちの重症患者(3次救急)はほぼ一割で、残りが1次と2次と言われているため、ますます社会はER型救急システムを必要としているようだ。
「救急医療のニーズが変わって来ているのかなと思います」と奈良先生は指摘する。

初めて救急医として認められた喜び

恒例の印象に残る症例をお聞きすると奈良先生は、しばらく考え込みながら「ありますけども、一例というのは難しい」と言葉を発し、症例というよりも救急現場での印象に残ったことを話題に取り上げた。
奈良先生が医者になって3年目のことだった。救急医としての経験や知識と手技も蓄えられてはいたが、まだ一人で任せてもらったことがない。現場は日本海側に面する浜益村(現・石狩市)。農作業車が何かの拍子で女性に乗り上げ、胸部外傷を負い、呼吸状態も危ういという一報が当時勤めていた札幌医大に寄せられた。
ドクターヘリのない時代。消防の防災ヘリが同病院のヘリポートで奈良先生と先輩医師をピックアップして現場に向かったのだった。現場に着いてみると女性は意識が混濁していた。本来なら同行した先輩のベテラン医が診るような重症患者だった。ところが、先輩医師は奈良先生に全てを任せる指示を出した。気管挿管しなくてはいけなかった。それだけではなく、肺も破れていたのでチューブ(胸腔ドレーン)を差し込む応急措置をして呼吸をまず確保した。
奈良先生は回顧する。
「割とうまくいき、その患者さんを救命できたので、自分にとって、すごく嬉しかったです。」
この体験から二つのことを教えられたと奈良先生。一人前の救急医として認められたことと、自身もこれから現場で後輩医師を指導して診断と診療を任せる立場になっていくべき、ということだ。奈良先生は「自分が認められたことと、自分がこれからどういう風にしていかなければならないかを教えられたという面で、すごく印象に残っています。」

災害現場でのジレンマは、患者にゆっくり休んでくださいと言えないこと

2016年4月14日午後9時26分、熊本地方を震央とする最大震度7の大地震が起き、その28時間後にも再び最大震度7の地震が同地方を襲う大地震が発生した。崩れた家の下敷きになるなど関連死を含め現在までに131人の命が奪われたほか、2,000人以上が負傷、避難者は最大で18万人を超えた。
厚生労働省は早速、災害派遣医療チームの派遣要請を出すことに。
2度目の大地震の直後に、手稲渓仁会病院にも派遣要請があった。ベテラン救急医の奈良先生でも災害派遣医療チーム(通称・DMAT)は初めて。奈良先生をリーダーとした計6人のチームが同病院で結成されるや否や、航空自衛隊千歳基地に向かい、そこで合流した道内7チーム計39人の一員として熊本空港へ飛び立ったのだった。
奈良先生率いるチームは空港到着後、指定された熊本県菊池市に向かい、後任のDMATチームに引き継ぐまでの3日間、公民館などに寝泊まりしながら阿蘇地方を中心に医療活動を続けた。
奈良先生は、渓仁会グループのホームページ「サラネット」でDMATの活動を以下のように振り返っている。
「避難所の支援は初めての経験でしたが、災害時の避難所の様子を具体的に知ることができてよかったと思います。現地では『北海道から来てくれた』と感謝されました。DMATの活動は自己完結が原則です。そのため医療器材はもとより、水や食糧も持ち込みました。出動要請を受けてから2時間もない中で準備を終えることができたのは訓練の成果です。日頃の準備と訓練の大切さをあらためて感じました。」
このように話す奈良先生だが、被災地ならではの気遣いがあったとも話す。つまり、通常の診療ならば「今日は大丈夫ですからお家に帰ってゆっくり休んでください」と言えるのだが、診療は病院ではなくて避難所。ゆっくり休める家などない状況だ。
奈良先生は、できるだけ患者に寄り添う形で、心が落ち着くように長く話をすることに務めたという。
寄り添う形と文字にはしたが、奈良先生は「寄り添わないといけないとか、そういうことは考えたことはないです」と謙遜する。
奈良先生は3次受け入れ病院から救急医としてスタートを切った。搬送されてくる患者の多くは意識不明の重症患者。会話ができるような患者は少なかった。
「ところが、救急医療は社会的な背景のある人が運ばれて来ます。本人と話せなくても家族と話をします。入院してある程度回復してくると患者さんともお話ができるようになって来ます。救急医療って、治療のスピードは速いですけど、長い時間付き合う重症患者と接する機会が多くなって。まあ、その中で身についたと思います」と照れ笑いをする。奈良先生は従来型の3次指定救急で重症患者を診ていた頃の方が、もう少し患者さんと接したり色々な会話ができていたともいう。
そのためER型救急が進むと、奈良先生は逆に患者との会話の機会が少なくなるのではないかと懸念している。
「パッと来て、パッと帰したりするので。患者さんとの接点が本当に一見(いちげん)さんの感じになっちゃうからね。」

航空医療は平等に医療を受けられること、延いては基本的人権を守る

ドクターヘリやこれから導入されるであろうメディカルウィング。これら航空医療の第一線に立ちながら奈良先生は後進の指導にあたっている。
航空医療に携わるきっかけは何だったのだろうか。その点をお聞きすると「きっかけはなかった」ときっぱりと否定する。
札幌医大で医者の道を歩み始めた頃から、すでに同医大ではヘリコプターによる患者搬送というのが行われており、抵抗感がなかったのだという。奈良先生は言う。
「遠くから救急車で運ばれてくるよりも、ヘリや航空機を使った方が早い。僕は飛行機が好きだとかそういう訳ではない。それよりも救急システムを自然な形で構築する上で、必要な一つの手段として、救急車であったり、回転翼機(ヘリコプター)であったり、固定翼機(いわゆる航空機)であったりと考えています。一番適切なものを状況に応じて使うというのが良いと思っています。」
あと、航空機医療にあえて関心を抱けたとするならば、それは恩師の影響もあるという。
恩師は奈良先生が救急医として一歩を踏み出した札幌医科大学救急集中治療部・故金子正光教授。日本初の心臓移植手術が行われた時の助手で、ロシア・サハリンで大火傷を負ったコンスタンチンちゃんの主治医を務めた教授だ。金子教授は「どこにいても平等に医療が受けられなければならない。平等に医療が受けられることが、基本的人権を守るんだ」という考え方だった。奈良先生は「だから、少しでも格差を埋めるためにも札幌に来ることが必要だったら、それに対して一番良い方法でヘリコプターを使いだした経緯がある。僕は今、それを引き継いでいるという感じです」と答える。

ドクターヘリで大事なことの一つに現場のマネージメント力

ここ数年、奈良先生はドクターヘリは医療をすることだけが役割でなく、現場のマネージメントについても同じように大切なのではないかと考えているそうだ。
例えば、複数の傷害者のいる災害・事故現場。医療の責任者として救急隊や消防をマネージメントして、いかに早く現場を収束させるかが大事になるのだという。奈良先生は説明する。
「僕らにとって収束とは、患者さんを全て搬送することになります。その現場の医療をいかに早く、効率的に収束させるかということです。
例えば救助の必要がある現場で、車に挟まって出られない患者がいるとします。救助するのは消防のレスキュー隊(救助隊)という専門集団です。いろんな機器を使ってやるんですけど、救急医は患者が救助されるまで待っているのではなく、こういうやり方があるという指示も出すべきじゃないかなと思います。というのは、救助隊は患者から『痛い』と言われるとすぐにやめてしまいます。当たり前ですけど、そうすると周りのものを全部どけて空間を作って、二次災害を起こさないように慎重に出そうとします。しかし、安全にやりすぎると時間がかかりすぎます。でも医者が加わることで、(痛がっているけど)ここは足を伸ばしても良いとか、痛がっている患者さんに痛み止めを使うなど、医療介入もできるんですよね。口を出し過ぎてもダメだけど、他職種と協調してやっていく必要性はあるんですよね」
つまり、長引けば長引くほど重傷者は苦しみ、落命する危険性も高くなる。患者の立場に立った医者のアドバイスがより重要になって来るのだという。
奈良先生はドクターヘリが北海道に導入された当初から関わってきたが、最初は現場に行って治療をするだけだったという。「いろいろな余裕ができたこともあり」と奈良先生は、現場の安全確保と現場のマネージメントの重要性に気がついたと話す。
奈良先生は「ドクターヘリというのは、現場における救急医療を若い先生とかに教えたり指導したりするのに良い機会なのかなと思いますね」と強調する。

メディカルウィングは北海道の医療を集約させる最良のツール

メディカルウィングは、北海道航空医療ネットワーク研究会として全国に先駆けて北海道による独自の研究が積み重ねてきた。2年間の研究飛行を終え、現在は運用に向けての陳情・ロビー活動に移っている。
都市、離島、へき地の壁を飛び越えて「命の翼」を航空医療体制へのスタンダードを、という謳い文句からもわかるように、住む場所による医療格差を解消するために、どこにいても高度な専門医療が受療できる搬送手段として活用し、格差のない地域医療の平準化を目指している。
奈良先生は同研究会発足当初からのコアメンバーとして様々な提言や助言をしてきている。現在は、国の予算がついた時に実際に北海道として何をしてもらって、どういう形で運用するのが良いのかを詰めている段階だという。
奈良先生はメディカルウィングの利点をこう話す。
「北海道の医療を集約する、最良のツールです。北海道の航空医療体制を完成させることができる最後のツールなんです。北海道はすごく恵まれていて、ドクターヘリの他に防災ヘリもある。そこにもう一枚、メディカルウィングが加わることによって、北海道の医療というかそういうのが完結するんじゃないかと思っています。」

救急医を目指す医者へのメッセージ

奈良先生の写真

奈良先生は言葉短めに少し、はにかみながらも救急医を志す医者に話かけてもらった。
「あまりこういう風に誘ったことはないのですが…。まあ、救急医療の場合はまだまだ可能性というか、他の医療よりもまだ開拓するものが残っています。そういうパイオニア精神を持った人たちに救急医療を目指して欲しいな。」