先進急性期医療センター ホーム > 救急医の横顔 > [第1回]丸藤哲教授

救急医の横顔

「救急医の横顔」では、北大救急に関連する医師の方々にインタビューを行い、救急医の実情をご紹介していきます。1回目は、北大救急のパイオニア、丸藤哲教授にインタビューさせて頂きました。

先進急性期医療センターの部長で北海道大学医学研究科 侵襲制御医学講座 救急医学分野の丸藤哲教授に、当センターの役割や救命医療についてお話を伺いました。当センターは2000年6月に稼働。三次救急医療を担い札幌はもとより北海道の救急医療を支えています。

救急科専門医を目指す全てのシステムが整っているのが特徴

丸藤教授の写真

ドクターヘリとの連携やドクターカーで患者がよく搬送されてきます。病院前の救護体制でプレホスピタルケアといいますけど、そういうシステムを学び自分で参画できるのが、第一番目の大きな特徴です。私立大学の病院を別にすれば、ドクターカーを国公立大学でやっているというのは、おそらく僕らのところくらいでしょう。札幌市消防局と連携をしたドクターカーですけど、札幌消防の救急車が僕らをピックアップして現場に走り、現場で患者をトリアージして当センターやその他の三次救急医療施設に搬送します。勿論、ドクターヘリへの搭乗も可能ですし、その面白さにはまってしまう医師もいました。
次に初期診療。いわゆる初療ですが、ここでは軽症から心停止の重症症例、そして怪我も病気も全ての救急患者を診療します。それこそ生まれたばかり赤ちゃんから、100歳のお年寄りまで全ての患者を守備範囲にしています。そういうあらゆる状態の患者を診ることで救急のイロハを学ぶ事ができます。僕らは重症患者を専門とする三次救急医療システムをとっていますが、ER型の救急システムも札幌東徳州会病院、砂川市立病院、室蘭製鉄記念病院、函館中央病院、手稲渓仁会病院などの関連病院で学ぶ事ができます。
初療のあとは集中治療です。うちの場合は救急患者に加えて院内重症患者の集中治療も行っています。救急医療と同時に集中治療ができないというのは、どこかで救急科専門医としてのバランスを欠いていますね。僕らのセンターは、病院前診療、初療室での初期診療、その後は集中治療室で集中治療を行い、回復過程は救急科の病棟で診療を行います。このように自分たちで救急患者の全経過を診ることができるのが大きな特徴です。
救急科専門医は災害医療も守備範囲としているのを知っていますか。発災48時間以内に災害地域に駆けつけるDisaster Medical Assistance Team, DMAT、その後の救護班活動もリーダーとして僕らは災害医療に積極的に関与しています。阪神淡路大震災、東日本大震災が短いスパンで起こりました。日本は災害列島と呼ばれていますが、今後の南海・東南海地震などが想定される現在、その極期にあると言って良いでしょうから、救急医の活躍の機会は益々増加するでしょう。

救急医学・医療は、知識と技術と判断の玉手箱

救急の専門医は、瞬時に判断が要求される場合に、動じないで決断を行い最良の診断や治療を自分自身で実践できる医者です。もう一つ強調したいことは、僕らは臓器ではなく「ヒト」を診る医者だと言うことです。総合診療医も同様ですが、僕らとの決定的な違いは対象患者の緊急度と重症度、そして不確実性にあると思います。
普通の一般診療は基礎編です。しかし救急医療は応用編です。救急の場合は、患者が運ばれて来るまで状況がさっぱり分かりません。実際に運ばれてきても「え、こんなこともあるのか」と普通の教科書の勉強だけでは理解できない患者や病気も沢山あります。しかし、このことが常に新鮮な驚きを僕らに与えてくれるわけで、言い換えると、僕らが何歳になっても救急診療に飽きる事がない理由だと思っています。救急患者は救急医学の玉手箱のようなものです。その箱を開けると、僕らの知識と経験、判断と技術、決断力、診療能力が試される症状が詰まっています。これらに瞬時に対応できる、そして経験できる事が、救急医療の醍醐味であって、面白さではないでしょうか。

患者さんは歩いて診察・診療に来ない世界

どの診療科でも座学だけではダメですよね。実際に症例を診ながら学んでいかないと。救急以外の専門科ですと、歩いて患者さんが病院まで来て、受付をしてその後に医師に診てもらいます。これは当たり前のことですね。で、重い疾患が見つかれば、十分検査をして、どれだけの部位を切除していいかなどが分かってから手術に向かう。順番で行くと、診断があって治療になる。
でも、救急は診断と同時に治療も行わなければならないのです。何が何だか、それこそ怪我・病気の「玉手箱」のような患者が運ばれてくるから、治療しつつ診断をして、診断をしつつ治療をして行くのです。救急患者は不確実性の最たるもので、名前も年齢も分かっていない事が多々あります。怪我なのか病気なのかも最初判断できないことだってあります。それじゃあ診察しようと思って血圧を測ると30mmgくらいまで下がっていて、診察どころではない。まずは血圧を上げる治療をしながら、診断していかなければならない。皆さんは、こんなことで大丈夫かなと思うかもしれませんが、そういう時にこそ、僕らの思考方法(救急診断学)とか行動方法(救急治療学)が一番役に立つわけです。

救急医療は社会を支える下部構造

救急医療は社会を支える下部構造の一つなのですが、意外とそのことが理解されていませんね。社会のインフラとして水道とガスとか電気とかの重要性はみんな知っていて、これらの供給が止まったら一大事と思っています。でも、119番に電話をすれば日本全国津々浦々まで救急車がわずか6分30秒でやって来て病院に運んでくれることの素晴らしさをどの程度実感しているのでしょうか。僕は、盆暮れ正月、土日祝祭日、昼も夜もこの救急システムを全国の救急医が支えていることを是非皆さんに知って欲しいと思います。そして、救急医はこのシステムを支えていることを矜持として日々の診療に励んでいるのです。

専従医師と看護師が行う閉鎖型ICU

僕らはICUでの集中治療もやっています。僕らのICUは閉鎖型ICUといってICUの専従の医者が診ていますが、通常教官、医員、研修医を含めて医師が6人24時間体制で診療にあたります。全国でこんなに多くの医者が24時間ICUに詰めているところはありませんし、閉鎖型のICUも数えるほどしかありません。重症度が非常に高い患者が入っていますから、この人数でも足りないほどです。北大を出た学生や研修医諸君から他の施設のICUに行ったら当直医の少なさにびっくりしたという声をよく聞きます。多くのICUは専従医がおらず各診療科の医師が呼び出し体制で診療にあたる開放型ICUですから、この相違も当然ですし驚くのもまた然りですね。専従医が密度の濃い集中治療を行う閉鎖型ICUの治療成績が、医者が常駐していない開放型ICUよりもより良いのは簡単に理解できるでしょう。

夜間・休日に呼ばれることはありません

診療日数は月に6-8回、24時間診療体制です。正確には朝の8時50分から翌日の昼過ぎまでで、後は基本的に休みです。この勤務以外に関連病院で救急診療を医局業務としてやっています。
救急は辛い9K職場と考えていませんか?最近は全国のほとんどの救急医療の現場で交替制勤務が導入されて来ています。逆に他の科は、地方の病院へ行ったら分かるのですが、いや都会でさえも交替制じゃないから365日の主治医制ですね。だから、休日でも夜でも患者の状態が悪いと自分のところに電話がかかってきて、全部自分でやらなくてはならないといけません。しかも病院当直もしなくてはならない。そういう意味ではシステム上、僕らの方がずいぶんと進歩していると思います。しかし、実際には救急はまだまだ「きつい、つらい」と見られていて残念です。
実際に来てみるとわかると思うのですが、完全にオンオフがはっきり切り替わるシステムになっているので北大やその関連病院では自分がオフの時や夜間・休日に呼ばれることはありません。携帯電話で呼び出されることがないので、家庭生活も大事にできるし、子供の運動会にも朝から最後まで参加できますよ。

若い時にやりたいことをやれ

若い時に興味を持った事は、その時にやれということです。「救急をやってみたいけど、年をとった時を考えるとな〜」、と言う学生がいます。でも、これは間違いですよ。救急で緊急蘇生と全身管理を学んで、他に行きたい専門科があれば自由に行けますからね。若い時に20年も先のことを考え過ぎたって始まりません。まずは自分で、2年なり3年なり救急医学をやってみるといいですよ。
もちろん別の専門科からわれわれのセンターに飛び込んでくる医者もいます。今では副部長をやっていますが、若い頃に脳外科をやってから救急が専門になった人です。麻酔科をやってから救急に移ってくる医者もいれば、外科やってから1年だけ救急でやらしてほしいと来ている人もいます。言うまでもないことですが、われわれのセンターには派閥や学閥など全然ありません。出身大学が多様な混成部隊で和気あいあいとやっています。

飛行機の中で医者を求められた時、とっさに名乗り出られますか?

飛行機の中で誰かが倒れて、客室乗務員が「大変です。お医者さんがいませんか」と言われた時に、手を上げられるかどうかということです。「ああ、おれは**が専門だけど。ちょっと、なんだかさっぱりわかんない。だからいやだな」。ここですね、僕らと大きな違いは。
何でも知りたい、やってみたいというところが重要だと思います。昨今の専門医は、「僕は**がわかるけど、ほかは全然知らない」という形になることが多々あります。しかし、救急は頭からつま先までと、オールマイティの診断と治療が求められます。つまり、さっきも言ったように臓器ではなく「ヒト」を診るのが救急ですが、何にでも興味を持つ姿勢、それさえあれば誰にでもできると思います。何でも知りたい、やってみたいというのが、僕らの一番のモチベーションになっているのではないでしょうか。
さっと名乗り出て、的確な診断をして、目的地の空港まで患者の命をリレーして行く。カッコいい医者像だと思いませんか。

救急医学は独立した学問体系です

強調しておきたいのは、まだまだ一般の方には、救急はいろんな科の医者が自分の科に関連する救急をやっているというイメージがあると思います。でも本当はそうではありません。救急医学という独立した学問体系があり、その専門教育を受けた医師、つまり救急科の専門医が救急医療を行っているのです。救急医学は救急診断学、救急治療学といった独立した診断・治療体系を持っています。僕らは救急の専門医として、そこが一番大事と考えているし、また誇りに思っているのです。
それは、病院の前の救護のスペシャリストだとか、おれはICUのスペシャリストだとか、ERのスペシャリストだとか、あるいは中毒専門だとかですね。これが救急科専門医のサブスペシャリティです。
研修医や学生への講義で、僕は救急医学が独立した学問体系であることを口酸っぱくして教えています。まだまだ周りには、他の専門科医の中にだって、驚くことに教授でも「救急なんて」という言い方をする人もいますけど、そうじゃない。実際に、内科とか外科とか、婦人科とかいった皆さんが独立した診療科として信じて疑わない科と同様に、救急科も日本専門医制認定・評価機構が定める「基本診療科」に属しているのです。

人を助けるってカッコいいじゃないですか

学生時代の麻酔科の講義で、心肺蘇生のビデオを見せられました。意識がなくなっている人が蘇ってくる。これはすごいと思いましたよ。それで、卒業後は気管挿管と心肺蘇生に憧れて全身管理ができる麻酔科に入りました。ただちょうどそのころ総務省(旧自治省)・消防庁が、日本の救急医療を改善するとか言い始めた時で、麻酔を3年ほどやってから救急医療を生涯の専門と決めました。きっかけは単純で、救急がカッコいいと思ったからです。
だけどカッコいいという気持だけで、興味がないとだめですね。救急は面白いけど、将来歳を取った時のことを学生や研修医が心配しています。ですけど、僕はそう質問されたら「今やりたいことに忠実であるべきだ」と言うようにしています。
これが一番大事なのです、特に若い時はね。
今興味を持っていることを今やらなければ、だめですね。

救急を始めたころは、訳が分からずに死んでいく患者ばかりでした。こんな患者、これまでどこに運ばれていたのだろうと思いました。三十年近く救急をやっているといろんな事を経験しました。
救急車で運ばれて来た子どもの親の話です。最愛のお嬢さんが倒れた時、119番してから救急車が来るまで、本当に永遠に続くような長い時間に感じたそうです。で、救急車が見えた時にまず「ほっ」として、お嬢さんが生まれた時からこれまでのことが、それこそ走馬灯のように全部思い浮かんだそうです。「先生、私ったらこの子のお葬式のことまで考えたんですよ」とおっしゃっていました。そして救急車に乗って、そこから病院までが、このまま助からなかったらと考え、長く感じるのです。しかし、病院に救急車が着いて、そして救急部の扉が開いて僕らが青い術衣を着て立っているのを見て「これで助かった」とへなへなと座り込んでしまったそうです。みなさん、必死の思いで運ばれてきて、僕らの姿を見たとたんに安心するようです。頼りにされている存在なのです、僕らは。
もちろん良い事だけではありませんでした。辛い事だってありました。
例えば、昔、救急医になりたての頃に劇症肝炎で運ばれてきた患者がいました。昔ですから肝移植もなくて、結局、膵臓が壊死してお亡くなりになり、娘さんから「お父さんをかえしてくれ」と責められたことだってあります。臨終の際に家から呼ばれて駆けつけましたが、「あんた、いままでどこへ行っていたんだ」と怒鳴られました。お子さんが事故で亡くなった父親が、その怒りをこぶしで壁にぶつけて病室の壁が壊れたこともありました。堅い壁がですよ。救急現場では多く経験しますが、僕は子どもが両親に先立つことは本当に悲しいことだと思います。数え上げればきりがありません。このくらいにしておきましょう。

ストレス解消方法

僕は意外とストレスに打たれ強いです。休日の過ごし方を話してしまうと、若い人が救急に来なくなるかもしれないけど、今はほとんど休みがありません。それはまとまった時間がとれる休みの時に書類作成や論文執筆などに追われてしまうからです。患者の診療はさすがに若い人にまかせていますけど。要するに僕の場合はワーカホリックなのかもしれません。年に一回の写真撮影の旅が仕事を忘れる唯一の機会です。

救急の世界はボーダレスに活躍の場が用意されている

戦場真っ只中のバルカン半島のコソボに人道援助に行った医師もいます。彼の場合は当時、アジア各国の紛争地などで活躍するNGO組織AMDA(アジア医師連絡協議会、本部・岡山)に所属していました。救急の医療や医学を身に付けてからこそ、そのような場所で活躍できるわけです。救急では先ほど話したように災害医療も守備範囲です。日本の災害のみならずJICA/JMTDRに所属して世界の災害現場へ急行する救急医も多数知っています。東日本大震災の時には、北大は陸前高田へ入りました。北大の第一先発隊隊長は僕ら救急の女性医師で、それこそ八面六臂の活躍で引き続く隊の基礎を作ってくれました。
そのほかにも航空搬送、レパトリエーションという医療帰省支援があります。随分前に中国で日本の修学旅行生が大変な列車事故に巻き込まれたことから始まった制度です。国内搬送と国際搬送がありますが、僕がいた市立札幌病院では札幌で意識不明に陥った米国人女性をサンフランシスコまで搬送しました。最近の例では、うちの副部長が台湾まで患者搬送を行いました。札幌で事故に遭った赤ちゃんと一緒に航空機に乗込み、何と韓国経由で台湾まで送り届けて帰ってきました。

このように救急医療の世界は、非常に面白いのだ思います。