先進急性期医療センター ホーム > 救急医の横顔 > [第9回]前川邦彦先生

救急医の横顔

札幌医大救急から2014年に移籍して来られた前川先生は、人工心肺装置を使った心肺蘇生と熱傷を専門領域として北大救急の屋台骨を支えている。その二つの分野に関連した研究で2010年と2011年に海外で輝かしい賞も受賞している今年で14年目のベテラン救急医。
そうした前川先生だが、学生時代はDJにのめり込み、授業もそこそこに出席していなかったせいで、卒業試験・医師国家試験をあやうく落としかけたこともあるという。
救急医になったきっかけは、海外ドラマのERを観て、「救急に良いイメージを持っていた」からだという。
今回も救急医の醍醐味がしっかりと詰まっていますので、ぜひ、最後までお読み下さい。

仕事がやり易い北大救急の環境
医療チームが患者の情報を電子温度板で共有

前川先生の写真

北大救急に移って2年目の前川先生は、北大の環境について「診療する上で非常に仕事がやりやすい」と話す。患者を中心に考えられた医療システムが確立しているからという。三次救急を担当するような病院は組織が大きい故に患者抜きの医療システムが論じられたりすることがある。「たぶん、北大も昔はそうだったのだろうけども」とただし付きで言葉を紡ぐ。
前川先生は以前の職場で、自分の受け持つ患者をよりよくしたいがために病院側と交渉したり提案したりしてきた。「患者さんに必要だから」という理由だけでは「うんともすんとも変えられないことが多々あった」とも。
そのために必要な治療が提供できなかったり、必要以上に時間がかかったりしたという。「臨床をやる上にはストレスが多い環境でした」
違いはどこにあるのか?
使う医療器具、診療の内容ともにさほど差はないのだが、北大は「人間的な要素が大きいのではないかと思うのです」と前川先生。
救急患者の病状は多岐にわたるため救急科単独での診療は難しく、一般診療科や関係部署のサポートが欠かせない。彼らの仕事を増やす救急はともすれば疎まれる存在だそうだが、先進急性期医療センターを丸藤教授らが立ち上げてから時間をかけて他科との交渉、地ならしをして、スムーズな道ができたのではないかと前川先生は推測する。
また「温度板」という電子カルテシステムの存在も大きいと指摘する。
いわゆる個々の患者の治療経過記録がICUや医師控え室などに点在するコンピュータ画面上で表示されるシステムで、そこには体温、血圧などの観察結果や検査結果、内服薬や点滴などの処方内容がグラフや表で、分、時間、日単位で示されている。医療チームが適時適切に患者の容態を共有できるという優れものだ。
前川先生は「慣れるまでに時間はかかりましたけど、少ない労力で指示が出せたり、患者さんのケアができたりするので、とてもよくできたシステムだと思います」と感想を口にする。

人工心肺を使った心肺蘇生とやけど治療が専門領域
関連する分野の研究で海外の医学会から受賞

その前川先生は、2010年から2年続けて海外で表彰される研究でも知られている。
いずれも前の職場での受賞歴だが、前者は、人工心肺を使った心肺蘇生(ECPR)を行った院外心停止患者の循環停止時間と予後の関係を検討した研究で第10回欧州蘇生学会(開催都市ポルト)からERC Young Investigator of the year賞を、後者は熱傷患者に多剤耐性緑膿菌が発生するリスクファクターを解析した研究で感染管理疫学専門家協会(開催都市ボルチモア)からBest International Abstract Award賞が贈られているのだ。

心臓が止まっていた時間が短ければ短いほど、その患者が社会復帰する可能性は高いが、従来の心肺蘇生法では10分の心停止後に目を覚ます確率は60%、20分で20%、30分になると5%以下に落ち込み、たとえ命が繋がったとしても多くは植物状態になってしまうという。
前川先生の話によると、海外では救急隊員が30分蘇生行為をして心拍が再開しない場合には、その場で死亡確認がなされて患者を病院に運ばない地域もあるそうだ。
一方、日本では札幌医科大学が先駆者となって、病院到着時に心臓が動いていない患者に人工心肺装置を使って血液を送り込んで、社会復帰率を高めてきた。
前川先生は「実際にECPRを行うと30分心臓が止まっていても20%以上、60分止まっていても10%近くの患者さんが目を覚まします。海外の先生にしてみれば長時間心臓が止まっていた患者のほとんどは助からない、治療の対象にならないと思っているのでびっくりするんですよね。そんな患者に人工心肺を使うのか、クレージーだ、と言われます」と説明する。
2013年に前川先生が発表した「院外心停止に対するECPRの治療効果」の論文は、実は世界初ともいわれている。

前川先生が取り組んできた研究は、普段から臨床で思っていた仮説を調べてみようとデータを整理したことがきっかけだったという。
札幌医大では2008年にニュースでも話題になった多剤耐性緑膿菌がアウトブレイクしたため、原因が突き止められるまで高度救急救命センターは閉鎖され、「突然、時間が非常にできた」と前川先生は話す。
最初に手をつけたのが札幌医大に多く搬送される外傷患者のデータで、FDP(フィブリン分解産物)値が高い患者は重症化するという解析結果だった。それ以来、院外心停止患者、熱傷患者のデータを分析し、ECPRや多剤耐性緑膿菌の研究につながったというのだ。

前川先生は「普段から臨床で疑問に思うことは調べるには調べるが、救急・集中治療の領域には答えがない、分からないことだらけだ」と口にする。そのため、調べても答えが無かったこと、すなわち、まだ誰にも調べられていないことを研究テーマとしてメモ帳に記すようにしているのだそうだ。「小さなネタから膨大なテーマまですごく一杯あります。そうして溜まっていたネタの中に熱傷患者の多剤耐性緑膿菌のこともあったのです」と前川先生。
統計の解析はあくまでも独学で行ってきたという。統計ソフトを使って有名論文を見様見真似で解析しているうちに、前川先生は「統計は臨床でなんとなくこうなのかなって考えていた仮説を証明するのに有効な武器になることが分かった。統計マニアとまではいかないですけど、データさえあればいろいろなテーマを考えて解析ができることがわかりました」と微笑む。

やけどの治療を自分の専門領域にしようと思ったきっかけは、後述するが、医者になって2年目の時に、サハリンで重症やけどを追って市立札幌病院に運ばれて来た患者との関わりだった。
その患者は救命が極めて難しい75パーセントの広範囲熱傷であったにもかかわらず、やけど治療の高度技術を持つ杏林大学に転院して助かった経過を間近で見て、「助けられる治療法があるんだ」と分かったためだという。
前川先生は「重症熱傷は救急で避けられない領域です。交通事故同様、いつの時代も一定数の患者が発生します」と説明する。
治療できる施設は限られていて、死亡率が高い。なおかつ助かってもガーゼ交換など傷の処置や全身管理が大変で、一ヶ月から二ヶ月、長くなると一年くらいの入院を要する。
「非常に長く大変な治療なので、正直医者はあまり喜ばないし、担当したがらない。熱傷患者の半数は自殺を試みたケースなので、ますますモチベーションが上がり難い」と前川先生は本音を口にする。
「だけど誰かがやらなくてはいけない。交通事故と同じで突発的に起きて、その人の人生を激変させてしまう病態なので、何とか助けてあげたいと思うんですよね。特に後遺症を残さずに社会に戻さなければならない幼児や若い人たちの治療はですね」と力を込める。
やけど治療の高度な手技や管理を学ぶために杏林大学に一年間、「武者修行」に行っている。

DJにのめり込み過ぎた医学生時代
海外ドラマERの影響で、救急の門を叩く

そんな前川先生だが、救急医に特段なりたいと思ってなったわけではなかったという。
学生時代は、医学の勉強よりも音楽が好きでDJの活動にのめり込んでいたという。特に大学4年生からは、前川先生が好きでよく遊びに行っていた札幌のプレシャスホールの人たちに誘われてレギュラーイベントのDJを担当するようになり、学業がおろそかになっていったそうだ。
「自分でいうのも何ですけど、年々どんどん自分のDJが良くなってきた。海外からの有名なDJが来た時には前座のチャンスももらえるようになっていった」と前川先生。特に最終学年の6年生の時は「本当に楽しかった」と振り返る。
その分、つけは当然のようにまわって来た。6年生の時は、医師国家試験に向けて週末ともなるとほとんどの学生が模擬試験を受けるようになるのだが、前川先生のDJの出番は週末の夜。月に2−3回はまわってくるほど活動が忙しくなり、模擬試験どころではなかったというのだ。
「試験料を払っていたのであとで問題をもらうことができたのですが、1回も試験日に受けなかったですね。卒業試験が1月にあったんですけど、いよいよまずいことになった」と前川先生は思い出し笑いしながら、話しを続けた。
「卒業試験は国家試験の前哨戦のような試験だったんですけど、110人中105番目の成績。で、再試験になって…」
このままでは国家試験には受からないと思ったのか、前川先生は大急ぎで勉強をして、手元に溜まっていた模擬試験問題に向かいラストスパートをかけたという。
前川先生の卒業年の国家試験は、新方式に試験内容が変わったためか、合格率は年一回の試験制度となってから過最高の90.4パーセントと跳ね上がった。
前川先生は「たぶん初年度だったので問題が易しかったのかもしれませんね。だから合格できた。ぜんぜん合格できると思っていませんでしたから。『合格しなかったらさらに音楽ができる』としか考えていなかったんで、非常に不真面目でした。予想外に受かっちゃって医者にそのままなっちゃった感じです」と口元を緩ませた。
こうして医者になった前川先生は、母校の大学病院の救急集中治療部(現在の高度救命救急センター)で救急医を目指すことになった。
といっても学生時代に救急医になろうと思ったことはなかったという。
いざ卒業できてが、あまりにも勉強をしていなかったために、自分が何をやりたいか分からない状態だったという。
そこで前川先生は「いろいろな患者さんが来る救急に行けば、きっといろんな経験ができて、そのうちに自分のやりたいことが決まったら専門科に出ればいいと思って救急の門を叩いたんです」と答える。
ただ、救急には「良いイメージを持っていた」と前川先生。そのイメージは、実は「ER緊急救命室」という海外テレビドラマから来ている。
「学生時代から好きで、毎週月曜日ずーっと欠かさず観ていました」と白い歯をこぼす。

印象に残る症例はいずれも重症熱傷

前川先生に印象に残る症例をうかがうと、迷わず2件の重症熱傷患者のエピソードを取り上げた。
一つは工事現場で働いていたモンゴル人男性が、ドラム缶爆発により熱傷を受傷し、多剤耐性緑膿菌に侵されて助けられなかった症例と、もう一つは前述の、やけど治療を専門領域に志すきっかけとなったロシア人の熱傷症例だ。

2007年7月の出来事だった。工事現場でドラム缶が爆発、両下肢に大やけどを負った20代の男性がドクターヘリで搬送されてきた。モンゴル出身の男性で、片言の日本語が話せた。
初療を担当した前川先生は、気管挿管しなければならない状態ではあったものの通常は助かる重症度だったと回顧する。前川先生は男性に「これから治療するので、しばらく話せなくなりますけど、ちゃんと元気になりますからね」と話しかけて治療を開始した。予定された治療そのものはさほど難しいものではなかったという。前川先生は、手術から二週間ほどで一般病棟へ転床できると考えていた。
ところが運悪く、男性は入院から二日目に多剤耐性緑膿菌に感染してしまった、というのだ。
きれいに手術をしてもすぐに薬が効かない緑膿菌による感染症が起き、移植した皮膚が正着せずに脱落してしまう。毎日傷を洗浄しても、次の日には当てていたガーゼが全部緑色になっていく繰り返し。
感染症によって悪くなった部位は切除していくしかなかった。毎日ベッドサイドで真皮、皮下脂肪、筋膜、筋肉と切除していって、最後にはそれ以上切除できないところまで切除した。まったく制御不能の状態に陥っていた。
男性には妊娠中の妻がいた。日本語も覚束ないフィリピン出身の女性。余計に助けなければならないという使命感を感じていた。
が、前川先生の2ヶ月に及ぶ懸命な治療に関わらず男性は亡くなってしまった。
「多剤耐性緑膿菌がいなければ絶対に死ななかった。自分の中では、この人は死んじゃいけない人だった」と前川先生は今でも強く確信している。
このような悔しい経験があったために、熱傷患者に多剤耐性緑膿菌が発生するリスクファクターをデータ解析しようという動機にも結びついたのだった。熱傷患者を一人でも多く救いたいという願いからでもあったのかもしれない。

もう一つの症例は2002年、前川先生が医者になった翌年に起きた事件だった。
2002年5月、サハリン・ユジノサハリンスクで何者かによりロシア国境警備局太平洋管区副管区長の自宅に火炎瓶が投げ込まれた。副管区長は密猟対策を担当していたという。自宅にいた妻も火災に巻き込まれ、夫妻とも地元病院では治療できない全身やけどによる瀕死の重傷を追ったため、ビザ無しで札幌に国際医療搬送されて来たのだった。
副管区長は札幌医大で、その妻は市立札幌病院で治療を受けることになった。
前川先生が市立札幌病院救命センターでの「研修」に就いて間もなくの出来事だった。その日はファースト当直という、来た患者全ての主治医になる日だった。
初めて主治医として対応する重傷熱傷の患者。先輩医師に助けられながらも治療を試みたが、全身75パーセントにおよぶ広範囲熱傷。やけど治療に強いとされている札幌医大にお願いしようと頭を一瞬よぎったが、夫の副管区長の治療でそれどころではないとすぐに気がついた。
翌朝もなんとか命は細く持ちこたえていたが、カンファレンスで「ここでは助けられないので、治療ができるところに転院させよう」という方針となり、前川先生は無理を承知で杏林大学に電話して受け入れの要請をした。
杏林大学はやけどの治療で有名で、さらに広範囲熱傷治療に必要な皮膚バンクの日本スキンバンクネットワーク(当時は東京スキンバンクネットワーク)事務局が病院内にあったからだ。
海上保安庁の協力もあり、当直明けながら前川先生は患者に付き添い千歳空港でYS11に乗り込んだ。そして埼玉の入間基地を経て杏林大学に無事に送り届けることができた。
「そのまましばらくいて、やけどの最先端の治療を勉強してこい」という市立札幌病院の粋な計らいにより、前川先生は一週間ほど杏林大学に留まり、治療を見続けた。
札幌医大で治療した副管区長は残念ながら亡くなってしまったが、副管区長の妻はその後容態が安定して死の淵から脱出、無事にロシアに帰国することができたという。
「その経験があったので、やけどは自分がやらなければならない、と言ったら言い過ぎですが自分の守備範囲の中で重要なポジションになっていったのです」と前川先生は話す。
そして2006年にはやけどを学ぶために杏林大学に一年間国内留学して、熱傷治療の技術を高めたのだった。

これから救急の研修を受ける若い医者へのアドバイス

前川先生の写真

3次救急に特化した北大のような救急に対して、1次から3次まで受け入れるER型の新しい救急も増えてきた中、前川先生は「これから若い人がどちらの救急を目指すか分からないけど」と前置きしながらも「僕は、3次救急をぜひ知って欲しいな」と強調する。
何もER型を否定している話しではない。
前川先生は海外ドラマの「ER」を観て救急の門を叩いた。そして医者になってからもメモを取りながら「ER」を観続けたという。
「アメリカ救急医学会の医師が監修しているので、医学的な内容が担保されているんですよ」と前川先生は説明する。
最初は楽しく勉強がてらに観ていたドラマだったが、自らが救急医の経験を重ねるうちに「自分だったら(治療や対応は)こうじゃないかな、もっとうまく助けられるな、と思う場面がいっぱい出て来た」というのだ。
「ER型っていうのは、救急車や歩いて病院に来る、9割くらいの患者さんにとってはベストな場所だと思うんですよ。僕なんかが診るよりも「ER」のグリーン先生やカーター先生がその9割の患者さんを診てくれたら、患者さんはとてもハッピーです。でも、グリーン先生では治療ができない、かつ専門の先生たちを呼ぶ時間もないような緊急度の高い重症患者さんが10人に一人はいると思うんですよ。アメリカのシステムだったら切り捨てられるけど、僕らのような重症患者の初期治療に長けた医者が入り口に立っていることで、助けられるのかなと思うんです」と前川先生は言葉を刻んだ。
ER型を目指そうとする若い医者はきっといるだろう。実際にやりがいもあるし、良いシステムだという。
「でもね」と言葉を紡ぐ。
「僕らみたいな(3次救急)タイプじゃないと助けられない人もたまーにいるんですよ。(3次救急の現場で)それを知ってもらうことができたらいいなと思う」。
3次救急で助かる人もいれば、助からない人もいる。前川先生は、その臨界点を知ってもらうためにも3次救急の現場での研修も必要だと説く。
どの専門科に進もうが、重症患者はいろいろな場面で発生する。ファーストタッチは色々な先生が担当する。
「その時に、『まずい、(3次救急に)送ったほうがいい』とか『これはもう、なにをやっても助けられない状態』という判断が、たぶんできるようになると思うんですよ」と前川先生は北大救急での研修の利点を口説いた。
最後に、前川先生は救急・集中治療分野が今、世界で注目されている学問の一つであることも強調した。
世界的に一番インパクトがあり、各国の医師に読まれている「ニューイングランド・ジャーナル・メディシン」という臨床医学系の雑誌がある。その中に掲載された論文の内訳を見ると、救急・集中治療の関する内容が近年目立って増えてきているのだという。この5年間で増加率は200パーセントを超えるそうだ。
前川先生が過去に掲載された分野をデータ解析して明らかにした数字だということだが、「分からないことがあれば知りたい」という探究心は、こうした場面でも活かされているようだった。

注目される救急・集中治療分野