先進急性期医療センター ホーム > 救急医の横顔 > [第12回]富永直樹先生

救急医の横顔

富永直樹先生は、日本医科大学付属病院(以下、日医と略)の高度救命救急センターから2015年10月から1年半の期限で医員として着任。北大の秀でた救急患者のICU管理を学ぶために来られました。日医は全国救命センターの「The Best of Bests」として平成5年、「高度救命救急センター」第1号に認定された救急医療の要(かなめ)。その救急の本場で5年間、腕を磨かれた富永先生には北大救急がどのように目に映り、これまでの半年間で学ばれた点や、日医の救急とどのような違いがあるかなどをお聞きしました。

きめ細やかな濃密な北大救急のICUカンファレンス

富永先生の写真

救急といっても様々な得意分野がある。日医の場合は外科専門医が中心となって救急医療を牽引していることもあり、外傷に関しては非常に秀でている。一方で北大の救急は富永先生から見ると、ICUに重点を置いた救急医療が優れている。麻酔科が「母体」として先進急性期医療センターが立ち上げられた経緯があるからではないかという。
その北大救急に来るきっかけは、和田毅先生(現在・米国留学中)との出会いだったという。初期臨床研修の1年目の際、和田先生から「ICU管理に重点を置いた救急のスタイル」のことを聞き、日医に足りない部分だと悟った。その思いは救急研修を重ねていくうちに更に強くなり、富永先生はICU管理をメインにした救急医を目指すことになった。
北大ICUでは担当医師が毎朝、しっかりとしたカンファレンスを行っている。当直の交代以降に起こったことに始まり、現在の状況まで、意識レベル、呼吸、循環状態、血圧など多岐にわたる項目を事細かに評価して話し合う。最低でも一患者あたり10分はかかる。
富永先生は、そのように時間をかけてカンファレンスしていることに最初は驚いたという。
しかし「患者の容態が変わっていなくても、見逃していることもあったり、あるいは、早めに次のことが予想できたりして、こうなるかもしれないから次の治療をしておこうかなという判断ができる」ということに富永先生は気がついた。
日医ではグループ制でICUの患者を診ていたという。富永先生は「正直、自分は診切れてなくて、とりあえず状態が落ち着いていれば『昨日と変わりありません』という感じで申し送りしていました」と話す。
「だからと言って日医の救急がICUで何もしていないわけではないが」と前置きを置きながら、富永先生は話を続ける。
「(北大救急が)こんなにきめ細やかに見る必要があるのだろうかと感じることもあるが、そうした中で、日医でもしかしたら救えなかったかもしれない症例もいくつかあった。(日医では)外科の先生の集まりで外傷とかの治療への意識は高い。内科的疾患で一番多いのは敗血症で、ここ(北大救急)では感染症に伴う合併症に対してもしっかり検査で評価している。だから、日医との比較では、もしかしたら敗血症の人の予後の差が一番出るのかもしれないなあ、とも思いました」と感想を口にする。
きめ細やかにICUの患者を評価して治療できる背景には、日医と北大の救急搬送の受け入れ件数が圧倒的に違うということもある。富永先生は話を続ける。
「救急件数が少ないな、と最初は思いました。でもちゃんと診ていこうとすると一日の時間が足りなくて、結局、(当直で)寝ている時間がない。冬場は特に救急が忙しかったので。簡単にいうとちゃんと寝られない。患者数が少ないにも関わらず」
それゆえ、富永先生は「ICUが濃密にできるということは、北大に勉強しに来た甲斐があるとすごく思っています」と話す。

救急を目指したきっかけは、一枚のレントゲン写真

富永先生は広島県呉市の出身で、両親は実家で内科を開業している。
医者への道は自然の成り行きのように医学部を目指したという。
「特に自宅の扉を開けるとそこは病院で、子供の頃から受付で遊んでいたので、医者になることしか考えていなかった」と富永先生。
大阪医科大学に合格して、しばらくは漠然と自身も内科医になるのかなという思いだった。だから救急の事は頭になく、ドラマの中での出来事のようにしか思っていなかったという。
そんな富永先生が救急医を志すきっかけとなったのは、一枚のレントゲン写真だった。その写真には、心臓に包丁が突き刺さっている様子が写し出されていたという。
大学での医学実習でのこと。担当教官がこれまで診た症例をエピソードと共に、どのように治療をしていったかという授業は刺激的で面白かったのだが、富永先生には、その時のレントゲン映像が脳裏に深く残った。
「わっ、すげー。写ってはいけないものが写っている」との驚きもさることながら、その患者を、レントゲン写真を頼りに手術をして救った「救急医療」の存在に圧倒されたというのだ。
だからといって確固たる意思を持って、救急の中の救急とも言われる老舗的存在の日医を目指したわけではない。実は富永先生には理由があったのだ。とにかく大阪から抜け出したいという理由が…。
それは医大3年時に薬理学の単位を落として留年したことで、入学時の同期に気後れしてしまい、初期臨床研修で元同期が先輩としているのが「苦痛」に感じたのだった。
そこで研修先は是が非でも東京と考え、インターネットで「東京」「救急」と検索をしてみたところ日医がヒットしたことが大きなきっかけとなったという。
初期臨床研修では、救急の他に、心臓疾患もしっかり診られるようになりたいと思い、循環器内科の研修にも力を入れたそうだ。

救急の一番の楽しさは色々な疾患を診られること

「救急の、このスクラブをきている時は、戦闘服だと思っているので、私服を着ている時よりも自信に溢れている感じになれます。そしていつもよりおしゃべりになります」と富永先生は打ち明けて話を続ける。
「救急の一番の楽しさは色々な疾患を診られることです。頭の先から足の先まで全部の症例が診られて、診断をできることことなのですよね」
救急には専門性がないと誤解されることが多いため、富永先生は研修医に「でも、救急では全身の疾患を診られて、少なくとも自分で診断や治療の道筋をつけられるようになると」とよく言い聞かせ、「それが救急の醍醐味」だということをわかってもらうように努めている。
富永先生はさらに話をつむぐ。
「とくにボクがいるのが三次救急なので、たとえそれが専門的な疾患であっても、他の科が診られませんといった重症を自分たちで診られる。もちろん治すところまではいかないかもしれないけれど、僕は急性期が圧倒的に好きなので、最初の一週間、数日、究極にいえば最初の数時間が一番楽しく感じるのです。みんなでドタバタしながら同時進行にいろんなことをしながら診ながら、考え、いろんな侵襲的な処置をする。こうじゃないか、こうじゃないかと最初の数時間が救急の醍醐味かなと」
富永先生にはある目標がある。それは2020年東京五輪の会場で「もしも」の場合に備えて派遣される医師だという。
「五輪開催っていうのは医師が必要。そこでは風邪とか腹痛を診るのではなくて、選手の急変を診るのです。外傷を診られる医師しか出来ない。幸いなことに五輪の責任者のトップが日本医大の出身で、現在、日本体育大学の先生。日医の救急にいれば五輪に派遣されやすいんですよね。そういうことができるのも救急の面白さですよね」と富永先生は目を輝かせる。

日医のICUとCCUの架け橋になるミッションも

話が前後するが、富永先生は北大への研修に日医側からある大きなミッションを背負って来ている。
それは現在、日医の付属病院が改修中で、新病院として立ち上がる時に、救急のICUとCCU(coronary care unit)が一体化するため、「その架け橋になってくれ」と言われているのだ。
日医では伝統的に救急のICUと循環器内科のCCUの医者同士が平たく言うと意思の疎通がしづらい環境にあるというのだ。
富永先生はもともと、特に心臓への興味があり、ICUをメインでやりたいたくて、救急に入局している。入局に際して、医局長に「オペ室には入りません」と理解を取り付けたという。
北大から日医に「救急修行」に来ていた水柿明日美先生の影響でもあると富永先生は認める。初期臨床研修時に出会った水柿先生は、これまで外科中心の日医の先輩医師とは全く違っていたのだ。
「オペをしない救急医もありなんだ」と、ある意味驚きもしたが、ICUメインの救急医を目指そうと言うきっかけになったという。
「日医の救急は、内科系疾患が弱いことを医局長も認めていることなのです。ずっと脳外科、整形外科、腹部外科のどれかの専門医をとるというのが流れでした。それに逆らってオペ室に入らないと言っているのは僕ぐらいなんです」と富永先生。
そんな入局の経緯もあることから、医局長からは「日医の内科的救急の部分を立ち上げて引っ張ってくれ」とも期待されているそうだ。
今回の国内留学にもあたる北大救急での研修が実現した背景には上記の理由でもあった。ちなみに日医が全く無系列な北大に研修を目的に医者を送り出したのは初めてのことだそうだ。

印象に残る症例は、ドクターカーで出動して何もできなかった心肺停止の重体患者

富永先生は、印象に残る症例の質問の後、しばらく考えてから口を開いた。
「僕は、どちらかというと比較的ミスはしない方で、(研修時から)よく褒められていました。できたことは『こんなものか』と考えているので、できなかったことしか印象に残っていなくて」と前置きをしながら、中でも一番印象に残った症例はドクターカーで駆けつけた現場のことをあげる。
北大のシステムと違い、日医の場合、病院から直接、救命士がドクターカーを運転して出て、現場や搬送途中でドッキングする。
「東京の上野公園近くの工事現場で設備の崩落かなんかで一人が下敷きになったという事件があって、20年近くのベテラン医と一緒に出たのですが、その時に患者は心肺停止状態。あまりの雰囲気に気負いしてしまい、何もできなかった」と述懐する。
富永先生は「気管挿管してVラインを取るところで22ゲージを外傷で選択してしまったり、細いとりやすい点滴すらも取れなかったり」と悔やむ。
結局、帯同したベテラン救急医が全て処置するのだが、残念ながら重体患者の心臓の鼓動が戻ることはなかった。

救急医を志す後輩へのメッセージ
救急医になれば南極だってエベレストだって行けてしまう

富永先生の写真

ボクは結構、救急が好きで楽しいからやっている。でも、救急が全てではないと思っているので、どの科を選択してもいいと思っていますし、別の科に進んだボクの後輩がいたら、その人をすごく頼ります。だから研修医とかも仲良くなって、どの科にいくのとか聞いて、別の科にすすむのであれば、その科のことを教えてよ、と聞くこともあります。本当に自分のやりたいことがあるんだったら、その科に進んでもらったらいいのかな。
救急の一番いいところは、本当にいろんな疾患が診られて、いろんな考えが身に付いて、いろんなことができます。一般的に、大学病院は市中病院よりも専門性が高い。市中病院で診断が付かない人が送られて来るのが、大学病院なので、特に大学病院にいる医者はすごく専門性にこだわるわけですよね。その中で救急をやっているから、逆に専門性にこだわらずに色んなことができるっていうのが、救急の強みなのではないでしょうか。
救急は色んなことができるんですけども、それが病院の中で留まらないってことが面白いと思うんですよね。救急の先輩には、すごい人がいて、医師として南極に医師として帯同したり、エベレストの山頂に登ったり、今、南米の日本大使館に務めている救急医がいるんですよね。そういう世界にはばたく人もいます。
ドクターカーとかヘリとかで病院外で活躍できる場もあって、いろんなことに目を向けられるのが救急なんですよね。