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臨床研修

研修医へのインタビュー - 板垣有紀先生

今回の研修医インタビューは来春から救急への入局を表明してくれている板垣先生へのインタビューです。どの様な思いで救急への入局を決めたのか、興味深い記事になっています。

板垣有紀先生プロフィール

  • 1989年 旭川市生まれ
  • 札幌第一高等学校卒業後、北大医学部入学
  • 2015年 同大同学部卒業

救急医を志すきっかけは、ある飲酒トラブル

板垣先生の写真

板垣先生は、何にでも一生懸命取り組もうとする反面、それにうまく対応できない時には反省し過ぎて落ち込むことが多いという。こうした性格のために研修時には指導の先生から「落ち込みすぎだ」とたしなめられたり「いじけ癖」と呼ばれたりもした。
負けず嫌いという性格もあったのかもしれないが、それ以上に板垣先生は「できない自分に納得で来なくて。一刻も早くできるようになりたい。勉強不足ということもあるけど、それが人に役に立たない無力感というのがすごく辛いと思います」と振り返る。
それでも板垣先生はインタビューの冒頭、救急研修の印象を質問すると開口一番「面白い」と口にしている。
日本で5番目の都市で人口190万あまりを抱える札幌。板垣先生は「その人たちの救急治療に関われることがすごいことでもあると思うし、好奇心、やりがいの面でも面白いです。もちろん職業としてもやりがいがあると思います」と話す。

救急を面白いと口にするだけに、板垣先生は初期臨床研修後の目標も救急医になることと定めているが、実は救急医になろうとしたきっかけは思いもがけない飲酒トラブルだった。
板垣先生が医学部4年生の時のこと。大学構内で名物のジンパ(ジンギスカンパーティー)を楽しんでいた。楽しい宴のはずだったが、飲みすぎて後輩が酔いつぶれてしまったのだった。しかしこの時、板垣先生は、何の対処も出来なかった。
板垣先生は振り返る。
「舌根とか落ちていて、やばいなと。死んだらシャレにならないのに。気道確保とかあるじゃないですか。でも4年生なのに何も知らなくて。ノウハウも勉強もしないと自分はただのアホだと思って」。
後輩学生は救急搬送されたのだが、この時に板垣先生は初めて救急に興味が湧いたのだという。

びっくりしたビタミンCの利用法

研修期間中、板垣先生が一番印象に残った症例は広範囲熱傷患者だった。同時に、どのように治っていくのかを診ることが一番勉強にもなったという。中でもビタミンCを利用した治療方法だった。
ビタミンCは、血管透過性を抑えるために循環血液量を保つ効果があるという(参考:Critical Care201418:460. PMID: 25185110)。循環血液量が保たれると輸液量や全身のむくみが軽減でき、全身状態が悪くなっていくのを防ぐといわれる。しかし、授業では決して学ぶことのない、臨床現場でなければ知りえない治療方法だそうだ。
患者は80歳代の男性。左足膝下に30パーセントの熱傷を負っていた。初療室から集中治療室に患者が移された時に、指導医の前川邦彦先生がビタミンCのアンプルを薬剤部に電話注文していた。看護師が「そんなに詰めるの」と驚く声を上げるほどの対応に板垣先生は、前川先生の治療方法に目を離せなくなってしまったという。
点滴に10アンプル切って詰めていく。それを1日に二回、2日ほど続けられた。
北大病院からビタミンC(正式にはアスコルビン酸)が無くなってしまうほどの治療方法だが、その甲斐もあり熱傷の治癒は思う以上に早く進み、植皮も無事に済み、1ヶ月ちょっとで一般病院に転院することができたそうだ。
板垣先生は栄養療法とかを学生時代には「?」と思うほど、その効果のほどを疑っていたそうだったが、「改めて体に入っていくものが大事なんだなあと思わされました」と話す。

自分も人の役に立てると思えた、くも膜下出血患者との出会い

札幌市内のホテルの一室で意識を失って倒れている患者の一報があり、ドクターカーによる現場への医師の出動が要請された。板垣先生は上級医と一緒に現場に急行すると男性が意識なく横たわっていた。患者は昏睡状態であったため、必要な処置を施した後に、患者と一緒に北大病院に戻り、頭部CTでくも膜下出血と判明。脳外科の応援を得て、コイル塞栓術という脳血管内治療によって男性の一命は取り留められた。
板垣先生は自分のやることでいっぱい一杯だったという。だから翌日になって救急の先生たちがカンファレンスで「この人ラッキーだね」と口々に言い合っていることを最初、全く理解できなかったという。
実は、この男性患者は治療後、間も無く、目を覚まして話ができるようになったというのだ。手足も動き、目が見えづらいという後遺症以外には特に悪い症状はでていない。
50代の若さ。関西地方出身ながら中部地区で企業を営むオヤジさんだ。
板垣先生はくも膜下出血で倒れて運ばれてきた患者と以前、接している。意識が回復しなかった高齢者だった。CTスキャンか見受けられる印象は、板垣先生には同じに見えた。
近いうちに現場復帰ができることを考えると、板垣先生は「ラッキーだったのかもしれないと思うようになったという。
板垣先生は「どうしても社会復帰させないといけない。それを手伝わないと」と意気込んで、ICUでの治療にあたった。その甲斐もあり男性患者は板垣先生に心を許したのか、ある日「一緒に帰って、名古屋で開業しろよ」と声をかけられたのだった。
板垣先生は、自分が信頼されていることを嬉しくてたまらなかった。と同時に板垣先生は「自分もこういう重症患者の人を診てもいいんだな」と思えたともいう。
「何が何でも人を救ってやる、と意気込みがあって、救急をやりたいと思ったわけではなかった」と話す板垣先生だが、この男性患者から「自分も携わって人の役に立てるんだ」と思わせてもらえ、救急医としてやっていく自信をもらったのだった。

患者のマネージメント対応も救急医の仕事の一つ

救急は病気の百貨店とも言われる。あらゆる病態の患者が搬送されてくるからだ。その病態全てを見極めて対応しなければならない診断と治療の知識が求められる。
その一方で3次救急の宿命なのかもしれないが、住所、氏名すら分からない患者も運ばれてくるために、彼らのその後のケアもしなくてはならない。
板垣先生はそのケアのことをマネージメントとだと捉える。
患者の中には路上生活者だっている。彼らが搬送されて来ても救急は絶対に拒否したりはしない。お金のあるなしで患者を峻別しないのが救急でもある。板垣先生は話をする。
「転移先を決めたり、お金の無い患者さんを救護室に入れたりするというのも今回の研修で初めて知りました。そういうところまで知ってマネージメントしてあげなければ、転院させるのがままならない人もいる。精神的な理由とか身体的状況とか、そこまで面倒を見るというと語弊があるけれど、そういう人たちにも手を添えてあげるというのが、救急のすごいところだと思いました」

後輩へのメッセージ

板垣先生は、「自分なんかが後輩に言える立場ではない」とした上で、次のような言葉を紡いだ。

手技を経験する場とは思って研修に来ない方が良いと思います。手技を覚えてから来るところなのかなと。すごく悪い言い方ですけど、それは自分にも言いたい気持ちでもあります。
(同じ研修医の中にも)あれやりたい、これやりたい、という人が多い。確かに手技できると格好良いし、一人前になれる、というのがあると思うんですよね。でも、そうじゃないという気持ちもあります。
救急は必要なものだと感じてほしい。救急科は人が多くはないので、誰かがやらなくてはならないし、特に北大で救急をやる人が出てくるといいじゃないかなと思います。